参加者からの感想①
狭山事件の再審を実現しよう! キャラバン 12/2(土)は、徳島でした。前半は、関西の市民の会・住民の会のメンバーと狭山事件を考える徳島の会のみなさんとの交流会および駅前の街宣。後半は、人形のムラ阿波木偶(でく)文化資料館へ。
徳島の住民の会は、「さっちゃん」が一雄さんと結婚するにあたり、その祝う会をしたあと、自分たちのできることは? ということで住民の会をつくったそうです。自治労の顧問弁護士であった木村清志さんを代表に発足から独自の活動をしています。とはいえ、毎年つづけている狭山現地調査のまえには、カンパをつのっているのだとか。コロナで3年はとぎれたけれども、去年、今年も現地調査をしています。12~13人がマイクロバスで行っています。毎回同じ人が半分いて、毎回2~3人新しい人が来る。「自白」の足取りをまわって事務所で話というコース。さっちゃんに元気をもらったり、はげましたり。「もう当時のことがわかるのは十字路から畑ぐらい。毎年かわる」というのは、積み重ねてこられた実感がこもってました。
あと、早智子さんが高裁高検にハガキを出していたので、それをやっていこうということで続けています。それから、一雄さんと早智子さんから年に一回話をしてもらっているということです。できれば、勝利の報告会をしてもらいたい。
後半の人形のムラ阿波木偶文化資料館には、すごい数の木偶人形がありました(撮影禁止)。人形師の名人である天狗久(てんぐひさ)がつくった阿波木偶の頭(かしら)は、生涯で1000。北海道~台湾までと言われていますが、いま群馬~九州までは確認できているそうです。後世にのこそうとしているのは、ソフトも。門付芸の箱まわし、かつてはそのムラほとんどの家がしていたそうです。いまは資料館にいらっしゃる一組おふたりのみ。お話を聞いていると、ギリギリつながった感じです。竹細工がプラスチック製品に駆逐されたように、オリンピック・万博・高度経済成長による資本主義がそれにのらない文化を消していった。差別がこわくて、家に人形があったことすら言えなくなってしまった。かろうじて、のこしたおふたりは、1062けんの家を元日の午前0時からまわっておられるそうです。「三番叟まわし」という、千歳(せんざい)翁(おきな)三番叟(さんばそう)で去年の厄をはらい、えべっさんで健康と豊作・大漁・商売繁盛を約束する芸をします。ひとりで一体をあやつり、浄瑠璃も自分たちでします。それが箱まわしの伝統的なやりかたです。
資料館は保育所のあとにつくられました。更地にせず、もとの建物をつかっています。子どもが川の事故が多発していて、子どもを安全に育ててもらえる場所としてつくられた保育所。それも忘れないよう建物ものこされたのでしょう。
帰る間際、一雄さんと早智子さんの木偶人形も見せてもらえました。似ているのをさがしたのかなと思ったのですが、ちゃんとつくってもらったものだということです。
参加者からの感想②
高裁前で出会ったTさんの導きで、徳島へ。釜ヶ崎、茨木・高槻、宝塚、三木、こうべの14名で。
狭山事件を考える徳島の会の4名の皆さんと交流会。うち、3名は、早智子さんと同じ職場労組出身。一雄さん、早智子さんの結婚以来、毎年現地調査に赴き、早智子さんを支え、支えられる活動を続けている。
徳島駅前での街宣には、徳島の会の皆さんや、徳島新聞で狭山を追い続けている加治記者も参加。神戸から徳島に転居した仲間も合流し、数年ぶりに再会を果たした。
その後、人形のムラへ。
高度成長期に川へ流され、差別から逃れるためにその記憶すら封印されてきた人形たち。
その復活の物語にグラグラと価値観を揺さぶられた。
写真の2体の人形のモデルは一雄さんと早智子さん。
いつか、この人形による箱まわしを観たい!
交代で運転・ナビをしてくれた釜ヶ崎の仲間の皆さん、ありがとうございましたm(_ _)m